建築士(けんちくし)とは、建築士法(1950年(昭和25年)5月24日法律第202号)に拠って定められた日本の国家資格。建物の設計、工事監理等を行う技術者であると定義されている。
年1回行われる建築士試験に合格し、管轄行政庁(国土交通大臣または都道府県知事)から免許を受け、名称を用いて設計、施工などの業務を行う者を言う。建築士の仕事は、大きく3つに分かれる。意匠系(建物の配置やデザインなどを決める)、構造系(構造的な部分を受け持つ)、設備系(電気や空調などの設備関係を受け持つ)である。
ごく小規模なものを除き、建物の設計を行うには、建築士の資格を持つ者を必要とする。また、建物の設計規模により、建築士資格の裁量に違いがある
建築設計を行う者の中で、作家性、作品性を持つ者を現在では建築家という場合がある。建築家という呼び方は明治期から存在し、いくつか発行されている建築用語辞典による定義をそれぞれ比べると各辞典により、その意味する記述は異なっている。建築家は資格名称はもちろん、職能としての名称の法的規定もないため、建築士資格の有資格者である必要はない。上記作家性、作品性を持つ者とは一般に、建築コンテスト、設計コンテストの何らかの受賞歴のある者や、著名な作品を設計した者とされているが、建築用語辞典では受賞等など、そういった表現はなされていない。建築家の多くは実際一級建築士の有資格者ではある。
建築家、建築士といった呼び名が存在する背景には1914年(大正3年)に結成された全国建築士会という団体、翌年日本建築士会と改めるが、この会で熱心に活躍した建築家たちは、欧米のアーキテクトがプロフェッショナルとして社会の中で確立している状態を知るにおよび、これを日本においても確立しようとしたということがあるが、それはそうしたプロフェッショナルを“建築士”として規定する建築士法制定運動となって現われた。この運動は西欧的な概念におけるアーキテクト、建築家の職能を確立しようとしたことにあるが、兼業禁止事項をめぐる解釈などいくつかの問題点があったため、日本建築士会の職能確立運動=建築士法制定運動は失敗に終わり、建築士法は結局戦前期においては制定されずにいたる。この場合の建築士は現在日本建築家協会が規定する建築家にほかならない。
日本建築士会は戦後も活動を続けるが、建築士法の制定によって同法第二十二条により建築士の名称は免許上の建築士となり、都道府県単位の建築士会とその全国的組織である日本建築士会連合会が法的な根拠が与えられたため、1951(昭和26)年9月に解散を決定、連合会との協同組織化の方策も検討されたが、結局別の組織、建築設計事務所主宰者等を主な会員とする日本建築設計監理協会、後に個人会員による日本建築家協会を設立し、上記のとおり欧米のアーキテクトの観念、そのアーキテクトの語訳を建築士ではなく「建築家」と定めて今日に至っている。さらに日本建築家協会は、こうした曲折によって協会として不満足に制定された建築士法の改正と、念願としている職能法(建築家協会では当初「建築設計監理法」、後「建築家法」といっている)の制定のために運動を繰り広げている。